明日、新年度をむかえて夜歌の名前はわたしたちの学校の名簿から消える。そうでなければ夜歌は高校二年生になっていたはずだったといいたいところだけれど、ほんとうのところをいうのであれば彼女はその半年くらい前から学校にはこなくなっていたし、寮の自室からはすっかり荷物を引き払ってしまっていた。単位はまったく足りていなかった。彼女は退学するつもりだった。それでも彼女がいままで学校に在籍していたのは、三月までに彼女を学校に連れてくるからといって、わたしが母を説得していたからだった。

 

「それでは実験の準備をはじめます」

 

 退学届が受理されたのは昨日だった。そしてわたしは今日、学校に連れてきた夜歌に、妹にそうするにしてはやけにかしこまった仕方でいった。

 

「椅子に深く腰をかけて、足と腕は楽な位置にしてください。ひじかけを使ってもらっても大丈夫です」

 

 ぼんやりとした照明に照らされたその防音室の真ん中には一脚の椅子が置かれていた。クッションが柔らかく、座ると包み込まれたような感覚になる。全身の緊張が解けるような気がする。だけど気になってしまうことがあるとすれば、椅子に座ると実験者の、すなわちわたしの手によって、半分に切られたピンポン玉のようなものが目に被せられてしまうことだとおもう。締め付け過ぎないようにベルトを止める。そうしながらわたしは続けた。

 

「これからヘッドフォンをして、二十分間のリラックステープを聞いてもらいます。ただの音楽です。その再生が終わったらピンクノイズが流れはじめますので、それが実験開始の合図です」

「そしたら舞昼の声が聞こえてくる」

 夜歌はいった。わたしは首を振った。

「聞こえるかどうかが、この実験でたしかめたいことです」

 

 わたしは彼女の頭にヘッドフォンをつけた。まだテープは流れていないのでわたしの声は聞こえる。だけど目も耳も塞がれた妹の姿に、わたしはあの日のことをおもい出して、胸が痛んだ。

 

「不安になったり体調がわるくなったりしたらすぐに部屋を出てもらって大丈夫です。ゴーグルもヘッドフォンも外してもらって大丈夫です。それでも動けなかったら、椅子の横にボタンがありますから、それで呼んでください」

 

 わたしはヘッドフォンが繋がるプレーヤーのスイッチを押してノイズを流した。それで夜歌の視覚と聴覚は遮断された。薄明りの防音室から真っ暗闇の廊下に出た。重い扉を閉じてノブをまわすと、部屋は完全に外界から隔絶された。夜歌は厚い壁の向こうに閉じ込められた。

 

《心配そうな顔しないでよ》

 夜歌の声が頭に響いた。

《監禁されたわけでもないんだから。あのときと違って》

 だからわたしは答えた。

《実験はまだだよ》

 

 ◆

 

 夜歌が不登校を決め込むきっかけになったのは十月におこなわれた二学期中間試験の最終日の出来事だった。この日、夜歌は実施された三科目の試験すべてで不可の評定をくらってしまった。夜歌の頭のできがわるかったわけではない。わたしたちの学校では正当な理由なく試験を欠席すると不可が下されるのだけれど、その日の彼女は誰に断ることもなく試験を欠席したあげく、温情をかけられて実施された追試験の会場にも姿を現さなかったのである。だけど夜歌が学校にこなくなったのはその落第それ自体が原因ではなかった。問題は落第の理由のほうだった。夜歌が追試験をすっぽかしたのはたしかに彼女自身の意志によるものだった。だけど本試験のほうについては夜歌の意志などではまったくなくて、彼女は中間試験の最終日、試験の時間中ずっと、特別棟の隅、いまではすっかり使われなくなった茶道室で監禁されていたのだった。

 

 夜歌は自分が襲われたまさにそのときのことについて覚えていなかった。その朝寮のベッドで目を覚ましたことはたしかだったし、早めに朝食を済ませてひと気のない校舎に向かったのもたしかだった。中棟二階の自習室で試験勉強に取り組むつもりだった。だけどほんとうに階段を登ったのか、自習室に入ったのかということについては記憶があいまいだった。気が付いたらアイマスクが付けられて畳の上に転がされていた。手足は結束バンドで縛られていたし、口にはガムテープが貼り付けられていた。古びた畳の匂いが充満している部屋だったけれど、鼻の奥にはヴァニラにも似たあまったるい香りを覚えていた。きっと夜歌は実習室に保管されていた睡眠薬のどれかを嗅がされたのだ。彼女の頭はぼんやりとしていた。声は出せなかったし身動きも取れなかった。だけど彼女はたすけを呼ぼうとおもって、身体の力を抜いた。自分のいまいる場所を中心とした球状の空間をイメージする。両目両耳鼻と口、そのそれぞれから等距離の点に思考を集中させて、頭の中の人差し指でぴんと弾く。《たすけて!》

 

 わたしたちの学校ではテレパシーの使い方を指導する際にそのようなイメージがしばしば口にされるけれど、ほんとうのことを話すなら目と耳と鼻と口の真ん中あたりには特別な器官なんてないし、テレパシーに慣れてくるとこんな想像もしなくなる。それでも昔からこういういい方がされるのは、いまから六十四年前、すなわち笹島鑑三が超能力研究の教育を目的としてこの学校を設立してから三年後に、この学校ではじめてテレパシーでの会話を成功させたふたりの生徒がこのように意思疎通の方法を説明したからだった。このあたりに意識を集めて、ぴんと弾くみたいにしたら、声が届いて。秋の日のことだったらしい。ふたりの名前は田中楓と松山栄作といって、最終時限の超心理学の実習を終えて特別棟の隅で深い交感状態に入り込んだ際にことばを交わさずともお互いの意志が通じあったらしい。ふたりは鼻息を荒くした教師たちに問い詰められてことの次第をしぶしぶ話したために停学処分を受けるはめになったけれど、それ以降この学校ではテレパシーに目覚める生徒が次々と現れはじめた。

 田中と松山の事例からなにかしらの理論的な発見があったわけではなかった(当時一部の生徒たちの間で不純異性交遊が横行したらしいけれど、性交とテレパシーの間にはとくべつの関係は見られなかった)。それでもブレイクスルーが起こったのは、テレパシーの実在がほかならぬ自分たち羊ヶ丘生によって示されたことで、生徒たちが心の深い部分で抱いていた疑いを捨て去ることができたからだと説明されている。この説明のもととなっているのは超心理学におけるある法則だった。

 

・テレパシーの存在を疑う者は、テレパシーをうまく使えない。

・テレパシーの存在を疑う者がいると、テレパシーをうまく使えない。

 

 ガートルード・シュマイドラーが被験者の信念と超心理学実験の結果の相関関係を見つけたのは一九四五年のことだった。彼女は被験者に対して超能力の存在を信じるかどうかということを事前に質問した上でカード当ての実験をおこなったところ、「信じる」と答えた被験者のグループは偶然そうなるよりも高い正答率になり、「信じない」と答えた被験者のグループは偶然そうなるよりも低い正答率になった。彼女はマタイによる福音書になぞらえて「信じる」被験者のほうを羊群、「信じない」被験者のほうを山羊群としていたのでこの効果は羊‐山羊効果と呼ばれている。

 

 羊‐山羊効果は、テレパシーの存在を疑う者はテレパシーをまったく使えないということを示すものではない。むしろテレパシーを使うことによって、山羊群では有意に低い正答率になるのである。すなわち、自分の信念のためにわざと答えを外そうとして、無意識にテレパシーを使ってカードの模様を把握して、それと異なる答えを返しているわけである。そしてこの信念にしたがった無意識のテレパシーの使用は他者がそれを使おうとする際にも影響を与えて通信を妨害しようとするので、後者の法則も生まれ出てくるわけだった。

 こうした説を目の前にした笹島鑑三は七十年前、この学校の創設に当たってひとつの方針を打ち立てた。すなわち超能力研究の理想的な空間を作るために、超能力の存在を疑う者は生徒だろうと教員だろうと受け付けないというものである。田中・松山以前には入試や採用試験の際に超能力の存在についてのアンケートを巧妙に紛れ込ませることで判断の基準としていたけれど、生徒たちがテレパシーを使えるようになると、面接の際に部屋の隅で在学生ふたりがお互いにテレパシー通信を試してみて、ちゃんと通信ができるならば目の前の受験生は羊、できないならば通信が妨害されているので山羊というふうに判断するようになった。

 

 ここで、受験や採用試験といった場に在学生の判断を介在させることについては教職員の間ではなはだ議論が紛糾した。しかし田中・松山以後の手法を取るために在学生の手を借りなければいけなかったのは、教職員が誰ひとりとしてテレパシーを使うことができなかったからだった。彼ら彼女らはなにもその実在を疑っていたわけではなかった。だけどその後の調査でわかってきたことには、テレパシーの送信/受信範囲およびその精度は十七歳くらいまでは向上していくのだけれど、それを過ぎると低下しはじめて、二十五歳を超えるころには大半がテレパシーを使えなくなるのである。このことについては目や鼻や声帯のように、齢を取るにつれてテレパシーを発する/感ずる器官が衰えていくためではないかといって当該の器官の捜索に焦点が当てられて調査がおこなわれているけれど、はかばかしい結果はいまだ得られていない。また予想される反論として、齢を取るとそうした器官が衰えて使えなくなるのだとしたら、二十五歳以上のテレパシーの実在に懐疑的な人物が実験の場にいる際にテレパシーが使えなくなるのはなにゆえかというものがある。そうした場合にテレパシーがうまく使えなくなるのは当該の懐疑的な人物が無意識に妨害しているからだとされているのに。

 

   そうした謎と論点はいまだに残されたままであるけれど、ともあれ羊ヶ丘学園の方針、すなわち山羊は入れず羊は入れるという方針は在学生による通信テストによってまっとうされるようになった。

 

(続きは『蒼鴉城』第49号でお楽しみください)