クローズド・シャークル

有末ゆう

 

                        一九九九年一月三十一日

 

 やがてわたしがおじさんと呼ぶようになるハシント・フローレス・デラクルスは、九年前にイントラムロスのすぐ西の海岸でわたしを拾ったときのことについて語る際、奇跡だとか、運命だとかいうことばを好んで使った。わたしが拾われたのはまだ町が夜の影の中に浅く沈んでいたときのことで、わたしは汀に倒れて、打ち寄せては引いていく波に足を洗われていた。そのころも当然海には狂暴なサメたちがはびこっていて、おじさんのいうところによれば、後一分発見が遅れればわたしの両脚はなかっただろうし、もう数分遅ければ彼は、その後待ち受けていたはずのわたしへの世話に煩わされずにすんだはずだった。「城壁の内側」を意味するイントラムロスというわたしたちの町の西側、その半年後の地震で跡形もなく倒壊することになるサン・アウグスティン教会の北側の通りをまっすぐ進んだ先、海への眺望を遮る竹の林を抜けた先にわたしは倒れていた。それをおじさんは拾った。

「奇跡だ」

 奇跡らしい。

 そして運命の話をするのであれば、わたしが倒れているのを見付けたのが、太陽が昇った夜の翌朝だったことはまさに運命的だったらしい。その夜は曇天で、マニラの上に広がる空は見通しがいいとはいえなかった。太陽が昇ったのは日付が変わったちょうどそのときのことらしく、赤い光球が突如として広がり、空を染め上げた。ほんの一瞬のことだった。眠りについていた住人が大半であったが、突如窓を照らし出した光に目を覚ました者も少なくはなかったらしかった。ケソン、タギッグ、カウィット、そしてマロロスといった近隣の町でもその太陽は観測され、その後ひと月はあれがいったいなんであったのかという話で持ち切りになった。あるいはそれこそ奇跡だったし、あるいは精霊のいたずらで、ともすれば悪魔の仕業だった。この悪魔の仕業というのが問題で、その半年後くらいにルソン島を揺らした地震のせいで、あの太陽は災害の予兆だったのだし、悪魔の知らせだったのだということになった。そもそもあの太陽は西に昇っていたんだ、と、イントラムロスの町に住むロタグじいさんはよくいったものだった。

「太陽が東に昇るのはいい。だから東ってのはいい方角なんだ。南に昇るとしても、まあいい。南にはなんせ十字座があるからな。ただし西ってのはいただけねぇ、西は太陽の沈む方角なんだ、そこに太陽が昇っちまうってのは逆さまの道理じゃねぇか」

 ロタグじいさんの家はイントラムロスには珍しく高床式で、玄関の階段は東向きに下りるようになっていた。もともとは西向きの造りだったのだが、それで立て続けに子供が病熱で亡くなってしまったので、東向きに下りられるように途中で階段を曲げたのだった。

「だからあれは悪魔か、よくたって悪霊の仕業だ」

 そんな悪魔か悪霊の仕業がわたしの名前の由来になったのだから、都合の悪いことこの上なかった。わたしの名前は運命というのに従ってアロゥ(太陽)となった。拾われたとき、おじさんの見立てによればわたしは七つか八つくらいの歳に見えたらしかったが、自分の名前もどこで産まれたのかも、それどころかことばもそれまでの記憶のすべても覚えていなかった。硬い竹のベッドで目を覚ましたのがわたしの持つ最初の記憶で、そのときおじさんはわたしの横たわるベッドのそばで船をこいでいた。心もとない頭頂部とハリのない髪の毛。それがかくんと揺れてわたしのお腹にぶつかって、おじさんはあわてて顔を上げてわたしにはわけのわからぬことばでなにごとかをいった。きっと謝っているのだろうと思った。そしてなにかを問い掛けるようにし、わたしがなんの反応も返せないとなると、妙に納得したように頷いた。そしてわたしにはアロゥという名前が付けられた。太陽の子。ただし夜に西に昇った逆さまな太陽。

 これだけは運の尽きだったというのはいくつかあって、一つはその名前。もう一つはわたしがみなしごだということ。それとわたしが大してことばを話せなかったこと、最後に、わたしはこの町の人間にしては鼻が高く、眼窩が深かったことだった。奇妙なやつ。めでたくわたしは近隣の子供たちから悪魔の子だと認められて、その後しばらくの生活をみじめったらしく過ごすことになった。同年代の子たちが集まっている場所に行ってもなにを話しているのかろくにわからず隅でぽつねんとしているだけで、しばらくするとあっち行けとみんなで団子になってくすくす笑いながらわたしから離れていくというのが恒例の流れだった。あんまり悲しかったので家の中に籠って、ときおりおじさんにいい付けられたおつかいなどに行くだけにしていたらすっかり肌が白くなったので、おじさんに外で遊ぶようにといい付けられ外に出て、また同じことの繰り返しだった。寛容の心でもってそれでもよかったのだなと思うとすれば、子供たちの集まりの場所に混じろうとするとわたしは必ず除け者にされるので、そうでないときにわたしと同じような不遇をかこっていたアンドレス・ポントゥという男の子がそのときばかりはみんなの輪に入れていたことだった。ただ当時のわたしはそこまでの余裕がなくて、なんだあのいけ好かないでくのぼうはと思って家に走るだけだった。

 子供たちと一緒にいる(いや、いられなかったのだけれど)中でこれはしまったなと思ったのは、わたしが蛇をやたらと怖がっているということをばらしてしまったことだった。記憶があるのだ、真っ黒な蛇の記憶。巨大な蛇の頭だ。それが大きく口を開けて、わたしに迫って来る。それはともすればおじさんと出会う以前の記憶だった。ときおり夢の中でも思い出し、わたしはよく叫び声を上げて飛び起きた。そのせいで蛇に対してわけのわからぬ恐怖心を覚えていたし、その原因にもわけがわからなくて怖がっていたものだった。

 わたしのトラウマがみんなに知れてしまったのは、いつだったかみんなで林の中に入っていくぞとなったときのことだった。わたしはおじさんに外で遊んでいろといわれて仕方なく集まりにいって、みんなの何歩か後に付いて草木をかき分けていた。自分の腕の長さと同じくらいの蛇がぼとりと落ちてきて、わたしは叫び声を上げていた。なにごとかといって振り返った子供たちの目に映ったのはすっかり腰を抜かしたわたしの姿で、体格がいいだけで頭もなにもないリーダー格のリカルドという子が「そいつは昼だったら大人しいんだぜ」といって蛇のしっぽを掴んで振り回し、目を回させて、わたしの前にぶらぶらと垂らしてみせた。わたしはちびりながら四つん這いで逃げていって、擦り傷だらけで家に帰った。それから先、わたしの歩く先に茎を編んで作った蛇のおもちゃと蛇の抜け殻と笑い声とがよく降って来るようになったので、しばらくは外に出るのも怖がっていたと思う。

 そんなのが二、三年程つづいた後で、わたしはおじさんから農場に働きに行くようにといい付けられるようになり、子供たちの輪に入ろうとしなくていいとなったので救われた気分にはなった。その数週間後にガキ大将のリカルドはいちもつを蛇に噛まれて使いものにならなくなったそうだったけれど、あまり愉快ともいえなかった。

 農場はイントラムロスからパシッグ川沿いにずっと上流に行った場所にあった。経営者の名前をウィーカス・レルーストといって、おじさんの若いころからの知人だそうだった。彼は長きに渡ってマニラの町長をやっていた。この土地はウィーカスの高祖父の代から受け継がれている土地だそうで、高祖父の名前もまたウィーカスといった。もともとはバイ湖のほとりの農場で小作人として働いていた先のウィーカスだったが、ひょんな幸運で二頭の水牛と少なくない金を手に入れたので、それじゃあ自分で農場の経営をやってやろうということになった。パシッグ川沿いにはまだ拓かれていない土地が多くあった。川がぐねぐねと蛇行した地帯で、かねてより洪水の被害に見舞われていたが、土地はよく肥えていた。それに近くに住んでいた霊媒師がこれより数百年はこの地は水害に見舞われないといったものだから、ウィーカスはここを切り拓くのだと決意した。最初に犂を入れたとき、彼はこの土地がまだ誰のものでもないと信じていた。竹の林が広がる場所で、硬い茎が地下を這い回っていた。ウィーカスは家族総出で竹や木を切って根や地下茎を取り去った。ただ、こんな栄養をよく含んだ土地を拓いていたらよくあることで、土地を綺麗に清掃する中で家族みんなが熱病に罹って、妻のルイースはまだ明け染めぬ土地でその命を散らした。

(続きは『蒼鴉城』第48号でお楽しみください)