見知った町と友だちについて

入ヶ岳愁

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 もうじき、わたしが小学生時代を過ごした町が見えてくる。かつての故郷、静かで小さな住宅街だ。読んでいた文庫本からわたしは顔を上げた。乗っている急行列車の車窓には、まだ間近にそびえ立つ山と緑色のフェンスくらいしか映っていないが、今に民家の連なる屋根が覗くことだろう。しかし眺めて特別楽しい景色ではない。本当に、建物の九割以上が民家なのだから。

 小さい頃のわたしはあの、家と公園しかない町の景色があまり好きではなかったのだと思う。確かに隣県の都市部に比べればわくわくするような遊び場には欠けていたし、駅前にお洒落な洋服のお店もカフェもほとんど無かった。代わりに線路沿いを西へ歩いた先に二階建てのショッピングセンターがあって、今はどうか知らないが、昔はあの建物が町で一番よく人の集まる場所だったのだ。休日にもなるとわたしたちはよく家族でそこへ行って、一階の店舗で服やおもちゃを買ってから、二階のフードコートで両親とランチを食べたものだった。何を食べたかまでは覚えていない。何度も食べたフードコートのランチより、一度だけデパートで食べたバナナパフェの方が記憶に残っているものだ。わたしはあの場所に二階建てのショッピングセンターじゃなく、十階建てのデパートが建てばいいと思っていたのだ。残念ながらその夢は叶わなかったし、あの建物自体何年か前には潰れて、今では大きなホームセンターに変わったと聞いている。

 かつての最寄り駅が見えてきても、わたしはシートに腰を下ろしたままだった。今日の目的地はここじゃないし、乗っている急行はこの駅に止まらない。売店も無い小さなホームを抜けた列車は、そのまま駅前ロータリーの横を、銀行や歯科クリニックの前を、荒れ放題の木立の陰を走った。弱い振動と共に速度は上がって、車窓を流れる風景の色も溶け合って見えるほどだったから、一瞬だけ開けた視界の先、日の当たる路上に自転車に乗った小学生くらいの子供を見た気がしたのは、多分わたしの見間違いだったのだろう。昔はあんまり毎日同じ町の景色ばかり見ていたから、年月を経ても時々眼の奥に残像がちらつくという、ただそれだけのことなのだ。

 

 一

 

 片目に眩しい光が飛び込んできて、驚いたわたしはとっさにブレーキハンドルを握った。自転車は甲高い叫びを上げて歩道に停止する。見上げると、道と並行する線路上を急行列車が通り過ぎていくところだった。スポンジケーキの淡い黄色に、上から薄くココアをまぶしたみたいなツートンカラー。光の当たるところだけが真っ白に輝いて見えた。あの塗装とガラス窓が強く西陽を反射して、わたしの目にまで一直線に飛び込んできたのだった。眩しいといっても慣れてしまうと大したものではなくて、立ち止まってそのまま走る車両を眺めていると、急行列車は陽炎の揺らめくそのまた向こう側へ、すぐに見えなくなった。

 道には車の陰も無い。取り残されたわたしはまたペダルを漕いだ。黙々と上り坂に自転車を走らせつつ、たまにハンドルから片手を離して額を拭う。そうしないと汗が目に入ってしまいそうだったのだ。あの日は特別暑かった。前の週にようやく梅雨から解放された太陽が、何もかもを取り返そうとするかのようにめちゃくちゃに照っていた。体力が汗になって身体中から逃げていく。前カゴに入れた赤いランドセルが無闇に重い。乗っている自転車がこれまたお母さんのを借りた大人用(つまり、正真正銘のママチャリ)だったから、サドルの位置からして高すぎた。ペダルを沈ませる度にバランスが崩れる。太ももが突っ張って痛い。こんなことならランドセルなんか家に置いてくるんだったと、後悔しても遅すぎた。わたしはいつもの倍ほどの時間を掛けてなんとか坂を上りきると、荷物のせいでバイクみたいに重くなったハンドルを切って、のろのろと小学校へ続く道に折れていった。

 東西を貫く鉄道路線から遠ざかる向きのその道は、緩やかな下り坂になっている。わたしはすぐにペダルから足を放して束の間の休息と向かい風を楽しんだ。今年舗装し直されたばかりの真っ黒なアスファルトを、自転車は滑るように進んでいく。もちろん帰りは同じ道を上るのだけれど、風が火照った頬に当たる間はそんなことも忘れていた。等間隔に植わった並木がアスファルトに、道を通るわたしの顔にも時々影を落とす。急な闖入者に驚いた蝉が一匹、木の幹からゼンマイ人形みたいな叫び声を上げて飛んでいった。

線路から離れるにつれ、次第に左右に並ぶ建物も変わる。住宅地なのは相変わらずだが、小さめで新しい一戸建てが、大型で古い瓦屋根の家になっていくのだ。時々やけに大きくて新しい、海外ドラマに出てきそうなマイホームも顔を覗かせる。特にそういう目立つ家を、わたしたちは普段から道で迷わないためのランドマークにしていた。元よりここらで目印にできるのは家と公園と、あとは学校くらいのものだった。

 十字路を三回まっすぐ渡り、一階がほぼ全部ガレージの茶色いお屋敷を通り過ぎたところで、突然左右の家並みは途切れる。視界が前方へ大きく開けるのは、そこから下り坂が角度を変えて、ブレーキを掛けなければ危ないほど急になるからだ。眼下の住宅地にはこれまでとはまた違い、落ち着いた見た目の、しかしそれほど古くはない一軒家や二階建てのアパートが並んでいる。奥には小学校の二棟続きの校舎もひょっこりと顔を覗かせていた。目的地を見て機嫌を良くしたわたしは、もちろんブレーキなんか掛けず一気に坂を転がっていった。顔や腕を流れるたくさんの汗が、風と一緒にずっと後ろの方へ吹き飛んでいくのを感じる。怖いくらいのスピードに耐えて、わたしはぐっと腰を沈ませ、顔を上げて瞬きもせず前を見つめていた。何故って、その方が気持ちいいからに決まってる。

 頭上の空に浮かぶ入道雲が、あんなにも白くて大きくて柔らかそうに見えたのは、過ぎ去った年月がわたしの記憶を美化してしまったせいだろうか。そうかもしれない。でもせっかくなので、わたしはあの雲が確かにあの日、あの空に浮かんでいたことにしたいと思う。

 

 二

 

 雑木林の緑を背負うようにして建つわたしたちの校舎は、夏の日差しにお化粧をされて嘘っぽいほど白くキレイに見えた。海辺のリゾートホテルみたいだと思った(実際、授業の無い学校なんてプール付きのホテルみたいなものかもしれない)。わたしは鼻歌なんか唄いながら、昇降口の裏まで自転車を止めに行った。

 夏休みの学校に入るのはわたしにとっていくらか特別感があったが、実はそんなにレアなものでもない。少年野球部やブラスバンドなど、クラブによっては夏休みにも活動があり、平日は大抵夕方まで校門が開いているのだ。その日も昇降口で靴を履き替えるわたしの横を白いユニフォームを着た児童や顧問らしき先生が通り過ぎていった。そう遠からず下校時刻になるので、彼らはみなこれから家へ帰る人たちだ。わたし一人、上履きを履いて廊下を奥へと進んでいく。

 長い休みが始まったばかりだというのに、わたしが自転車を飛ばしてまで(授業期間なら自転車登校は校則違反)小学校までやってきた理由は、その実たいそうくだらないものだった。夏休みの宿題として出されたドリルを、わたしはまるっと教室の机に置き忘れてしまったのだ。計算と漢字、それとお母さんには隠していたが、担任の角鞍先生が作ってくれたわら半紙の理科プリントも置きっぱなしだった。

 当のわたしとしては、宿題の二つや三つくらい次の登校日にでも取ってくれば良いと思っていた。ところがそうは問屋が、もといお母さんが卸さない。曰く、終業式の日に書いた「夏休みスケジュール」を初日から破るなんて言語道断、今すぐ取ってきなさい、と。これはまったくごもっともなお言葉だと、今になって思う。

 職員室に寄ると、珍しくポロシャツを着た角鞍先生がデスクを前に座っていた。教室に宿題を忘れましたと告げると先生は、よし、とだけ言って鍵をくれた。片手でマグカップを弄ぶ先生は、傍目にはひどく暇をしているように映る。休みの日のお父さんみたいだな、とわたしは思った。

 六年一組の教室は今いる南校舎の三階にある。校舎端の階段を折返して上るごとに人の気配も遠ざかっていくのが分かった。

 廊下に四クラス分並んだ六年生の教室は、どこもクラブの活動場所にはなっていない。明かりと呼べるものは教室も廊下も、消火栓の赤い非常ランプを除いて全て消されていた。換気されない空気は重く溜まりこんで、蜂蜜のようにとろりとしている。閉じた窓越しに染み込んでくる蝉の声が、薄暗い廊下いっぱいに溢れていた。

「無人だ」

 わざわざ声に出して言ってみる。わたしの小さな呟きは、渦巻く蝉の声にたちまち呑み込まれてしまった。歩くと、ランドセルの金具の音だけがやたらに響く。

 なんか、幽霊とか出てきそうだな。そう思った。恐怖に青ざめるほどじゃないけれど、わたしは少しだけ早足になった。

教室は南側の窓から西陽が差し込んで廊下よりも明るかったが、それだけに暑そうだ。黒板に書かれた日にちはきっと終業式の時のままだっただろう。

 扉を開けて、一歩足を踏み込んでみる。予想に違わず、閉め切られて空調も入らない教室は電子レンジにかけたかのように熱くなっていた。不快感のあまり、肺の奥の空気が一息に体の外へ絞り出されてしまう。わたしは三十秒と経たずに自分の机から宿題を取ってきたが、その間ほとんど息は止めっぱなしだった。

 教室から飛び出したわたしは、新鮮な空気を求めて一目散に廊下の窓を開けた。蝉の叫び声がダイレクトに耳を打つ。吹き込んでくる風が辛うじて涼しく、わたしは宿題の入ったランドセルを足元に置いて、しばらくはそのまま身を乗り出してぼうっとしていた。どうせ帰っても今日の分のドリルをやらされるだけだったから、稼げる時間は稼いでおきたかった。一分、あるいは二分が過ぎた。

 窓の桟が、砂と一緒に腕へ食い込んでざらりと痛い。ちょっと姿勢を変えてみると、そこでようやくわたしの右耳が微かな音色を聴き取った。

 初めのうち、わたしの耳まで届いたのはきらきらした高い音だけで、それが楽器の音色だとすらすぐには気付けなかった。音の鳴ってきた方角へ身を乗り出してみる。南校舎から中庭で隔たった向こう岸、北校舎の最上階に小さな人影が見えた。窓は閉じられているが、音だけが幽かにそこから漏れ出ていた。

 音楽室でグランドピアノを鳴らす彼女の姿は、目にしたわたしの背筋を思わずぞくりとさせるくらいには決まっていた。窓越しに光を受ける小さな横顔が、伏し目がちに手元の鍵盤を見つめている。右手が遠い鍵盤へ伸びる度、細い首もまたしなやかに傾いだ。窓際の日光を受ける場所だというのに、白い肌からは日焼けの気配すら感じられない。長く伸びた髪が時々風を受けたように広がって、鳥が羽根を広げるかのよう。

 綺麗だった。映画のワンシーンを見ているみたいだった。わたしは耳の後ろに手を当ててよく聴こうとしたけれど、二十メートルくらい離れたこの校舎へは、どうしても途切れ途切れにしか音色は流れてこない。校舎裏で大合唱している蝉たちも鬱陶しかった。

 わたしはランドセルを置きっぱなしのまま、ダッシュで北校舎へ廊下を渡った。顔だけはずっと音楽室の窓に向けていたから、足元に石でもあれば盛大に躓いていたことだろう。でも一度だってあの場所から目を離せば、次の瞬間には音楽室の空気ごと彼女がどこかに飛んでいってしまうような気がした。もちろん杞憂だ。人間が一息に消えてしまうなんてことありえないし、ピアノの音はわたしが一歩近付く度、だんだんとその音量を増していった。

 四階へ上がってきた頃には、廊下に反響するのが何の曲なのかもはっきり分かるようになっていた。わたしの知っている、というか、その時の六年生全員がよく知っている曲だ。来週末に本番を控えた合唱コンクールで、わたしたち六年生が唄う課題曲だった。

 合唱コンクールというのが、はたしてどの小学校にもお決まりの行事なのかはよく知らない。コンクールといっても互いに競い合うわけではなく、ただ校内発表会をかっこよく改名しただけの催しだった。毎年全学年の児童がお盆前の週末に集まって、学級会や朝学習の時間を使って練習していた歌を合唱するのだ。そこそこに練習したお歌を、そこそこに集まった保護者たちの前で披露する。往々にして夏休みの真っ最中に呼び出された不幸に文句を垂れながら。わたしはというと、普段の勉強が嫌いな一方歌うことは割に好きだったので、全体練習が立ちっぱなしで辛いこと以外は楽しんで参加していたと思う。

 ピアノ伴奏が階全体にしっとりと響き渡る。五年生までが音楽の教科書から決まった曲を取るのに対し、六年生は児童全員にリクエストを聞いた中で一番人気の曲を唄うのがおきまりで、今年は流行りのバラード曲に決まっていた。暑い校舎の中にピアノの音色だけが風鈴のように涼しげで、それがわたしには心地良かった。

 演奏はしばらくして一番の最後までたどり着き、そこで止まった。内側から湧き出してくるメロディの絶えた校舎には、途端に外から暑苦しい蝉の鳴き声が侵入し、反響し始める。世界が裏側から表へと無理矢理ひっくり返されたようだった。

わたしはずんずんと音楽室へ歩を進めていく。この階も廊下の電気は消えていて、どこか不気味に感じないこともないが、それを遥かに凌ぐ期待がわたしの胸を埋め尽くしていた。わたしの好奇心を満たす素敵なものが歩いた先でわたしを待ち構えているのだと、この鼻が嗅ぎ取っている。

 素敵なもの。わたしの好きなもの。小学校の授業ではよく自分の嗜好を問われる。自己紹介カードとか、そういう機会に。別に真面目に書く義理も無いので、わたしはいつも適当に美味しそうな食べ物を書いて提出した。プリン・アラモード、ビーフシチュー、お寿司、モンブラン。でも本当は、もっと好きなものが他にあった。たとえば、ファミレスの期間限定メニュー。二日目のカレーに、お母さんにばれないようこっそりネギと醤油を垂らしたやつ(ゲテモノ!)。あるいは風邪をひいた夜に食べる鶏肉のお粥とメロンゼリー(これは素敵)。共通点は、それらが皆普通じゃないってことだ。イレギュラーで非日常、めずらしくて特別。小学生の頃って誰しもそういうのが好きなんじゃないだろうか。少なくともわたしはそうだった。夏休み、ひと気の無い小学校、音楽室、一人でピアノを弾く女子生徒。重なりに重なってミルクレープみたいになった特別が、もう目の前にある。

 わたしが勢いよくドアを開けた先では、突然の音に驚いて椅子から腰を浮かせた少女が、六年四組の三池奈津美が、ピアノの前で目を丸くしてこちらを見つめていた。

 

(続きは『蒼鴉城46号』で)