◇三月
「はじめてーのー」
あ、キテレツのオープニングだ、と僕は思った。あの独特の声をうまく真似してる。空気が一段と乾き、冷え込んできた夕暮れ時の中学校の運動場で、あたりをぐるりと見回す。下校時刻が五分後に迫ってるからか、運動場に人影は全くなかった。どうやら、ここから見える校舎の三階の端、音楽室から聞こえてくるみたいだった。
それから少し歌声は続いて、しばらく沈黙。そして、そんな沈黙に耐えきれなくなったみたいに、女の子二人分の笑い声。
あ、と思った。辰本さんの声だ。
素早く音楽室を捉えた僕の目に、彼女の横顔が映る。
僕は彼女を探していた。いまが最後のチャンスかもしれない。いまを逃せば、もう二度と彼女に会えない可能性だってあるのかもしれない。
というか、昨日まですっかり返すのを忘れてた僕が悪いんだけど。
ポケットの中のものを手探りで触って、それから、僕は校舎に飛び込んだ。
◆九月
時間はぐんと半年くらい、去年の九月まで遡る。
辰本さんは、いわゆる優等生である。眼鏡をかけていたり、制服を崩すことなくきっちりと着ているところだったり、見た目からして優等生なんだけど、中身まで優等生だから文句のつけようもなく優等生だ。
そういうひとの常として、だいたいの場合に「なんとか委員」とか「なんとか長」に選ばれてしまう、という宿命にある。
文化祭委員というのが、問題のそれだった。
あれはもう、鮮やかというほかなかった。
クラス会が始まった直後に辰本さんが選び出され、他に誰の立候補も推薦もなく、即座に信任投票で彼女に決まってしまった。
それに比べると男子のほうはあんまりスピード感がなかった。誰も立候補者が出ないまま、だらだらとした、その実、誰が誰を売ってやろうかという駆け引きの緊張が続く時間が過ぎ、ぼさっとしてた僕がめでたく売られて文化祭の委員になってしまった。
まあ、僕のことはどうでもいい。要は、それだけ辰本さんが「文句のつけようがない優等生」だってことだ。
クラスの文化祭委員が決まれば、次はクラスがなにを出すのかを決めることになる。
辰本さんはそこらへんも慣れているのだろう。すぐさまクラスの空気を引っ張り始めると、スムーズに案を募り、決を取り、あっという間にクラスの出し物をお化け屋敷に決めてしまった。僕はずーっと黒板に張りついてあくせくと書記をしていた。
辰本さんは、優等生だ。
もう一人。
猫島という女の子がいる。
同じクラスの女子で、賑やかなわけでもなく、無口なわけでもなく、でも、時々目つきが鋭くて、なにを考えてるかよくわからないひとだ。
まあ、あの事件があるまであんまり話したことがなかったから、どんなひとなのかあんまり知らなかったんだけど。
彼女は真実を知りたがる人なのだと僕は思っている。